ぽしゃ

いつか忘れた頃に読み返すための雑多な記録帳

のろのろな土曜日

長らくぼろぼろのまま放置していた網戸を張り替えてもらった。

住み始めた時点で指で触れると穴があくというレベルだったので、もう7~8年は張り替えていなかったのだと思う。百均の修繕テープで穴をふさいでいたがついに1辺まるごとはがれてしまい、重い腰をあげて、大家さんに連絡して業者さんを呼んでもらった。

朝9時半に業者さんが来て、終わったのが11時過ぎ。

大家さんがお金を払ってくれる……かと期待していたがそうはいかず。

「定価は八千円ですがおまけしますよ」とのことで、価格は五千円。相場が分からないので(本当にそんなかかる……??)と疑心のまま払った。調べたところ相場もそんなもんらしい。材料費+出張費+一時間半の手間と考えると妥当か。普段はない出費だから大きく感じてしまうけど。

でも次壊れたら自分で張替えにチャレンジしようと思う。自分で金を払うのなら大家さんを通すのも面倒だし、自分でやったら二千円くらいっぽいし。

新しく張り替えてもらった黒の網戸はさすがプロの技、きれい。指で押しても穴があかなくて嬉しい。

 

 

 

 

植物の様子を見たり置き場所を吟味したりしていたら、二軒隣の住人に声を掛けられた。挨拶をしたことはあるけど、会話をしたのはここに住み始めてから初めて。

うちは隣も、そのさらに隣もいわゆる高齢の方が昔から住んでいる感じ。引っ越した当初にお隣さんに一応タオルを持っていったけれど、それ以来ほとんど交流はない。

とはいえ1階は隣との土地の仕切りがなく、二軒隣の洗濯物まではっきり見える。その姿は時々目にしていた。

特に二軒隣の住人の方は植物に水やりをする姿が見えていたので個人的には気にしていた。ここ最近は私もサボテンや植物たちの関係でよく外に出ていて、あちらとしても気になったらしい。特に何を話したというわけではないけど、都会でもこういう交流あるんだなあと思った。

そういえば前に住んでいたマンションでは3年住んでいて結局、隣の住人の顔を一度も見たことがなかった。

今の家では隣人の存在が良くも悪くも生活に近いのではじめは割と気を病んだりしたものだった。そばにある一軒家からは毎週月曜日に元気なヤクルトレディとの会話がダイレクトに聞こえるし、毎日朝3時には新聞配達の人が新聞を入れる音がするし、時折怒りの声が聞こえてくることさえある。

住む場所によって生活って全然違ってきて、人格とか許容範囲とかも変わってくるんだなあというのをよく感じる。怒りの声は聞きたくなくて大分悩んだけど、多分怒ってる方もどうしようもないんだろうなあ、と最近ではほとんど聞き流している。たまに聞こえてくる声の持ち主が抱く閉塞感について考えることもある。でもその声にこちらの生活を左右されることはほとんどなくなった。

 

 

 

朝から五千円が財布から飛んで行ったこともあり、何もせずぼんやり過ごしたあと14時半~19時までうたた寝をしていたら手足が冷えた。

その後シャワーを浴びたり散歩をしたり、ケーキを買って来たりしたけどなんだか胃腸の具合がよくない。

ハウス食品の調味料を使ってルーローハンを作って食べた後、温かい紅茶を淹れて、ぶどうをつまみながら内臓の回復を願っている。冷蔵庫に入れたケーキは明日食べる予定。

昼寝をしたわりにはうっすら眠い。