ぽしゃ

いつか忘れた頃に読み返すための雑多な記録帳

数年ぶりにのど飴を買ってみた

11月は忙しい月でまだまだ予定が入っているものの、とりあえず折り返し地点の今日は昔から付き合いのある集まりがあった。

ここ最近は人をお酒に誘ったり積極的に会話をしようと頑張ったりしてことごとく玉砕していたので気が重かった。かといって断るほどのものでもなく、こわごわと待ち合わせ場所へ向かい、宴を経て、滞りなく解散した。

今日はうまく会話ができたか……はやっぱりよくわからない。でも、みんなが楽しそうに会話しているのを楽しく聞くことができた。みんな元気そうで、楽しそうで本当に良かった。

 

自分にできないことをできる人はすごいと思う。またたく間にいろんな人間の名前がポンポン出てきて、近況があれこれ語られていく。他の人が相槌を打ったり、驚いたりする。

あの人が会長になったとか、海外に行ったとか。会話に登場する人名のうち、自分の知っている人は半数もいない。自分が知らなくてもそれぞれの会話が弾み、宴は進む。

焼肉を食べながら楽しく進む会話を眺める。自分が会話に加わってなくてもこの顔触れでは昔からのことなので気を遣われることはない。とても居心地がいい。

自分が喋らなくても、場を取り仕切らなくても場がうまく運行されるのならそれでいいと思う。自分はやっぱり組織を引っ張ることも、組織を回すことも、人を助けることも向いてない。みんなが楽しそうにしているのを、端っこの方で誰の目にも映らない形で眺めていたい。

 

最近は仕事に対して張り切りすぎていたな、と反省する。今の労働作業は不要とまでは言わないけど、スキルアップや昇進などの点では全然重要なものではない。そもそも労働に自分のアイデンティティを探すよりも、壁にかけっぱなしにしている服を畳むとか、冬服の着回しを検討するとか、そういう家の中の小さなことをしていきたい。

そんなことを考えながら、焼肉をたらふく食べた帰り道にのど飴を買ってみた。別に喉が痛いわけじゃないけど、なんとなく欲しくなったので。

ブログを始めてから、自分の生活は自分で作っていくものなんだなという当たり前すぎることをしばしば考えるようになった。時々行き詰まりを感じてしまうことがあるけれど、きっとただそう感じてしまうだけで、本当は生活なんてどうとでも作り変えることができる。少なくとも自分が望むようなことはたかが知れていて、ごくごく庶民的なものだし。労力配分を惰性に任せてしまいがちだけど、折々で努力の方向を変えることも検討しよう、と思った。