ぽしゃ

いつか忘れた頃に読み返すための雑多な記録帳

沸騰しないように温める

会話をしようと思っても失敗してしまうことばかりで、本当にどうしてこんなにうまくできないのだろうと考えて、そもそも会話が好きではないというところに行き着いてしまう。

話を広げるつもりがないのに質問をして、早く話を畳みたくて自己完結してしまう。会話ができない。申し訳ない。けれど、もっと悲しいことにおそらく誰も期待していない。上手にできないことくらいみんなわかっている。わかってないのは自分だけ。自分だけがいつまでも、うまくできるんじゃないかと夢見て空回ってしまう。今日こそはうまく会話できるんじゃないかなんて夢見てしまう。辛い。

 

今日もお酒を飲んだんです。うまくいったらいいなあと思いながら人を誘ったんだけど、うまくいかなかった。

解散後、金曜日だし映画館に寄って気分を変えようかなとラインナップを眺めてたんだけど、とことん落ち込んだり泣いたりできるタイプの洋画が近くで上映してなかったので映画館のある駅を通り過ぎて、自宅の最寄駅で降りた。

甘いものを食べようか、カラオケでも行こうかと10分ほど迷った後、ホットミルクを飲みたい気持ちになってスーパーに入った。たまたま目に入った半額になってる牡蠣を籠に入れて、色褪せた刺身を少し眺めて、豆腐を見つめながらココアが飲みたいな、と思った。それで牛乳とともに紅茶の棚の下の方に並んだココアの粉を買ってきた。

帰宅後フライパンにココアと砂糖と水を入れて弱火にかけて練った後、牛乳をいれて沸騰しないように温める。

 

ぼんやり壁を見つめていたらカレンダーが10月のままであることに気づいた。椅子を持ってきて、その上に立って手を伸ばし、高いところにかけたカレンダーをめくって11月にする。

10月分の明るい緑色、単調な図柄とは打って変わって11月は全体的に薄暗い色合いで、紙面全体を覆う灰色の枝に黒い鳥が止まっている絵だった。枝と鳥の他には細かな葉が神経質にたくさん描かれている。どう見ても陰鬱なその絵に、カレンダーの絵をこんなに暗くする必要があったんだろうか、としばらく見つめていた。この絵を描いた人は11月に何か悪い思い出があるんだろうか。

 

沸騰する直前で火を止めて、滑らかな色合いのココアをカップに注ぎ入れる。

袋に書かれた通りの分量で作ったんだけど注ぎ終えてみると普段飲んでる紅茶の半分にも満たないほどに少ない。カップなみなみのココアをごくごく飲む気でいたので、その控えめな量にちょっと笑ってしまった。次は二倍の分量で作ろう、と思いながらその少ないココアを少しずつ大事に大事に飲んだ。