ぽしゃ

いつか忘れた頃に読み返すための雑多な記録帳

夜行バスを待っている

今日は旅行に行こうと前々から決めていた。本当は知人と共に朝出発する予定だったのだけど、訳あって取りやめになってしまい、でも自分は諦めきれなくて夜行バスの予約をとった。

幼い頃は旅行といえば自家用車だった。親が運転する車の中で七時間ほど過ごすのが常だった。

夜行バスという交通手段が選択肢に現れたのは貧乏な大学生時代で、時々、何もかもに耐えられなくなった瞬間に当日の夜行バスの予約をとり、その日の講義が終わったら夜行バスに飛び乗って見知らぬ土地に逃げた。着いてからはひとつだけ観光場所を決める。そこに辿り着いたらあとは適当に過ごし、自分のためのお土産を買い、その晩の夜行バスで再び戻ってくる。そんな旅行と呼べるのか微妙な0泊3日を繰り返していた。

 

昔から「夜眠って、朝起きたら自分が家ではない知らない場所に辿り着いている」という想像をするのが好きで、今夜眠った後はきっと布団が魔法のじゅうたんみたいに窓から飛び出してどこかに連れて行ってくれるみたいな空想ばかりしていた。夜行バスはまさにそれだった。相応の料金が必要だという点と寝心地があまり良くないという点ではちょっと違うけど。眠っている間でさえここに居続けることが耐えきれない。さすがに今はそんなことはかなり少なくなったものの、学生時代はしばしばそんな風に耐えられなくなって、ここに居続けないために、移動し続けるために夜行バスを予約した。

 

 

学生時代、あらゆる場面で「奨学金を借りてる身でありながらこんな金の使い方をしていいのかな」と自問した。そしていつも結局、いいとか悪いとかではなく私はこの金を使うのだ、と自分に言い聞かせていた。もしかしたら奨学金を借りてる身で旅行なんて、と言う人がいるかもしれないけど、その人は私の人生の責任をとってくれるわけじゃない。返還にあたって金を出してくれるわけじゃない。奨学金の貸与を受けた際に使い道まで規定されていたわけではない。だから私はこの金を夜行バスに使う。誰にも文句は言わせない。お前に口を挟む権利はない。

今思うとあまりにトゲトゲしているけれど、学生の頃の自分はそんな風にして正しさや責任という言葉について常に考えていた。考えようとしていた。どうあるべきか、どうありたいか。今でも頻繁にわからなくなる。わかった気になってその実、わかっていないことも多い。難しい。今振り返ると学生の頃は強くなりたくて必死だったのだと思う。今はどうなんだろう。わからない。でも今日もなんだかんだ夜行バスを待っているので、あの頃よりはトゲトゲしてないにせよ根本は変わってないのかもしれない。別にそれを悪いことだとも思わない。

 

奨学金の貸与制度については世間で色々と言われているけれど、この制度がなかったら学生にさえなれなかったと思うと私はどちらかというと感謝している。奨学金を借りたという意味、返還するということについて何度も考えた。社会は不平等だ、みたいな言葉を初めて肌で感じて戸惑って、親から学費どころかお年玉までもらってる同期生に歯軋りしてはトゲトゲの針の本数を増やしていた。そうして身を覆った針で人を傷つけていたかもしれないので、奨学金には感謝しているけど、貧しさはない方がいいと思う。貧しいからこそ学べたと語られるものの大半はその実、貧しい中でも生きようとしたからこそ得たものであって、大事だったのは貧しかったことよりも生きようとしたことだったのではないかと思う。より良くであれ、地を這ってでもであれ、なんとなくであれ。