ぽしゃ

いつか忘れた頃に読み返すための雑多な記録帳

さっそくSNS断ちに失敗した話

SNSが大好きでした。

 

(20231015作成、20240114修正)

SNSのある生活

SNS、中でも一番好きだったのはTwitter

水色の鳥のアイコン、いろんなユーザーが絵を描いたり、共感できることを呟いたり、マイナーな作品の感想を呟いたり。

はじめはよく使い方がわからなかったものの、ある日、RT傾向が自分の好みと合致しているアカウントを見つけてから一気にTLが楽しくなった。

彼(彼女?)は一日百ツイートほど絵や文章をRTしてくれたので、フォローしておけば常に楽しいコンテンツに触れることができたし、ある程度良識のある人のようで、炎上系のツイートについては避けてその周辺のおだやかな呟きを流してくれた。おかげで気持ちが荒れることなく、それでいて話題になっていることについてはキャッチすることができた。

 

ここ数年は度重なるアップデートに伴い段々と使いづらい方向に変わっているな、という実感はあった。極端で過激なジェンダー議論、政治、商業主義。公式の方針。それでもなんだかんだTwitterでしか得られない情報があって、その即時性はかけがえのないものだった。そう思っていた。

やがておすすめタブができ、フォローしている人のツイートが流れてこないようになった。インプレゾンビの大量発生。インプレ稼ぎ目的の検索欄汚染。

そういう状況でTLに流れるツイートの傾向も急激に変わっていき、RT目当てでフォローした人もさすがにうんざりしたのかRTすることをやめて個人のツイートが増えていった。

楽しいより腹立たしいという感情の方が増え、それなのに一日10時間近くTwitterを見続けてしまう。それでいて一日中退屈だと感じていた。明らかに異常な状態だった。

やがてTwitterがXと名前を変え、しばらく経ってTwitterを離れることに決めた。

 

 

 

SNSのない生活

今までは目が覚めたらX、ご飯を食べながらX、夜寝る前もX、何なら仕事の休憩時間にもXという生活をしていたのでいきなりSNS断ちをするとやることがない。

しばらく空き時間をぼうっとして過ごした後、机に置いたまま放置していた資格の参考書が目に入って、のろのろとそのページを開いた。

時間つぶしに勉強をした後、ふと部屋の真ん中に積み上がっている服に気付いてそれらを畳み、それから台所の皿置き場の中にはびこっていた黒い汚れを洗剤でこすり落としたりした。

やることは意外といっぱいあった。

ずっと返還している奨学金はあとどれくらい残っているのだっけ、とふと気になって奨学金ポータルサイトで残額を見ると600万円余りと表示があって、くらっとした。くらっとしたけど、そういう風に自分の身の回りを確認していくことは案外楽しかった。

 

 

 

朝起きたらまずラジオを流して天気予報を聞き、Amazonで本を買ってKindleで読んだ。

何より一番うれしかったのは、スマホを手にしたまま寝落ちすることが極端に減ったこと。

それと、夜の歯磨きを面倒だと思うことも減った。

今までぞんざいにしていた生活を整えながら、いろんなことがうまくいっているように思えた。

 

 

SNSに触れる

SNSから離れるということ自体は、そうしたいと思ったのならさほど難しいことではないのだと思う。

むしろ、離れるぞ、と気合を入れてそれを実行している期間は楽しい。

むずかしいのはその気合が緩んだ時にどうやって「SNSのない生活」に戻るかということだと思う。

 

SNS断ちで暇が増え、色々なことをやる余裕ができた。SNSを開くという考えにさして魅力を感じないようにさえなっていた。Twitterアイコンはスマホのホーム画面から消して一切触れないようにしていた。

ある日「久しぶりにiPadで絵を描こうかな」と思って、その資料を探るために無意識に「X」のアイコンをタップしていた。

スマホからはそのアイコンを消していても、iPadからは消していなかった。

さらに悪いことに、絵を描くときにはいろんな資料を調べたり、場合によってはイメージを膨らますために写真や他の人の絵を何十枚も眺めたりする、「他の人はどんな絵を描いてるんだろう」と気になったりもする。

それで気づけばXを立ち上げてから10時間が経ち、外は真っ暗になっていた。

その間ずっと「これは絵を描いているのだから、そのための資料集めだから、……」と自分に言い聞かせながら、SNS断ちの空白期間を埋めるかのようにXのタイムラインを更新し続けていた。そういえばあの人はどうしているだろう、とか、このツイート面白いな、とかそんな風に熱中していた。

10時間もぶっ続けでSNSを見続ける。明らかにSNS断ちに失敗した。しょんぼり。

 

SNSから離れる

SNS断ちに必要なのは恒常的にSNSに触れないことはもちろん、一度触れた後にきちんと「離れる」ことなのだと思う。

元々この記事を書いた10月はまだSNS漬けの生活を絶ってから間もなかったので久しぶりにSNSに沈み込みそうになって驚いたけれど、現在(2024年1月)は10分くらい見続けてしまった時点で「ああ、久しぶりにいっぱい見たな」と満足するからかつてのように何時間もぶっ続けで見続けることはなくなった。

この満足が大事なのかしれない。今でも作品の感想や口コミを見るためにSNSを開くことはあっても、TLで退屈を紛らわそうとすることはなくなった。TLを開いてもひとつふたつポストを見て「SNSだなあ」と思って閉じることが多い。

今はそういう風に割り切れるようになった、でも10月時点だとそんなことはなくてSNS断ちに失敗したことに対してかなり罪悪感を抱いていたみたいで以下のように書き残していました。

 

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自分の中でも罪悪感があったのか、昨日の晩は「髪を振り乱した女性が包丁をかざして走ってくる」というひどい悪夢にうなされました。

休日は資格勉強しようと意気込んでいたのに何もできなかったという落胆も大きい。

ということで、今日からまたX断ちを再開したいと思います。

確かにXには「へ〜なるほど」と思うことも少なくない。でも今は、SNSから離れて花を飾ったり、掃除をしたり、勉強したりしたいなという気持ちが大きいし、そうしているのが楽しいので、楽しいことをしていたいです。

ということで。

頑張るぞーー!!うおーーー!!💪💪💪

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この時点だと気合でSNSから離れようとしていたみたいです。

で、その後、結局どうなったのかというと旅行・資格勉強(合格した)・新しく届いたサボテンの世話(サボテンカテゴリ参照)・部屋の模様替え・クリスマス年末などを経てほとんどSNS(X)に触れない生活がほぼ定着してきた。

2024年はやりたいことリストを作ってみたのですが、やりたいことリストを作るのって何の努力もせずに未来のことを無責任に語れるので楽しいな~と思いました。

 

 

SNS断ちに失敗する、って路上で石に躓いて転ぶのと同じように思いがけない出来事なので驚いてしまう部分はあると思うけど、むしろSNSっていうのはそれくらい中毒性のあるものだと再確認するきっかけになったので、個人的には良い薬になったなあと思ってます。

 

SNSにハマる理由は人それぞれなのでSNS断ちに失敗したらこうするといいよ、とは一概には言えないのですが、自分がSNSを開いてしまう一番の原因は「未来に対する不安」と「漠然とした退屈」だったので「SNSでは不安や退屈を一時的に紛らわすことはできても根本的な解決にはならない」と思うようにしています。(今考えるとあの漠然とした退屈はSNSに対する飽きでもあったように思えるけれど、当時はそう考えることができないほど思考する力が落ちていたのかもしれない)

 

今でもXにはログインしたままにしていてたまに検索で使うこともあります。ただアプリのアイコンはスマホのホーム画面から取り払い、原則触れないようにしている。スマホの画面はモノクロ表示にして情報量を抑えています。はじめは色のない画面に慣れなかったけれど今では色がある方がうるさいと感じるくらい馴染んでいる。モノクロ表示にしてから心なしか目が疲れにくくなった気がする。

誰かの何らかの参考になったら幸いです。